ほうれん草はなぜ 298円なのかというはなし

f:id:laiydt:20170606110332j:plain

東京の野菜は高い

これはただの愚痴である。

都会は野菜が高い。

あるときスーパーに入るとほうれん草が298円で売られていた。

いくらかだったは覚えていないけれど、地元のほうれん草はもう少し安かったように思う。

そんなことを考えつつ、ほうれん草を買って帰る。

キッチンに立ち、無心でほうれん草を切りながらふと思った、

 

「切ってしまえば大して見た目は変わらないのに、

   道ばたに生えている普通の草とほうれん草はなにが違うのだろう?」

 

ほうれん草は偉いのか

「ほうれん草 栄養」で検索するとこんな記事がヒットした。

 

rassic.jp

 

ほうれん草の栄養はやっぱりすごい!らしい。

鉄分やビタミンCを始め、たくさんの嬉しい栄養素が満点だそうだ。

すごい。むしろ298円では安いのかもしれない。恐るべしほうれん草。

 

ただ、考えてみると

ほうれん草だって昔はそこら辺に普通に生えていた、名無しの草だったのである。(たぶん)

それを誰かが見つけ、恐る恐る食べてみて、

なにかしらの研究をごちゃごちゃとしていき、

これは体に良いぞ!!と証明されたはず。(たぶん)

 

 

そこの違いってなんだろうなと思うのだ。

 

価値はどこで決まるのか

物の価値というものはたいてい金銭で決められる。

ほうれん草は298円を払う価値であるものだ、という認識があるから

298円で売られていても購入する人がいるのだろう。

 

だが、道ばたに生えている草を298円で買う人はいない。

それどころか踏みつけられたりもする。

 

ももしかしたら、今踏みつけられている草の中にも

もしかしたらほうれん草を凌ぐようなとんでもない力を秘めたスーパーマンが存在しているかもしれない。

 

そう考えると、物の価値って今現在の常識に依って決められるものではないし、

それは物でなくても人においても環境においても、

すべてにおいて言えることであると思う。

 

298円の価値が付いているから偉い、無名でなんの価値もないから劣等である

ではなく、

「もしかしたらとんでもないパワーを秘めているのかも」

という尊敬の念を持っていたいし、

できれば、ほうれん草をしがない一介の草から

「すごい!」と言わしめる存在にまで押し上げたほうれん草発掘者さんのように、

その価値を自ら発掘できる存在でいたいものである。