さよならが苦手
「さよなら」を言うのが苦手だ
そんなの誰だってそうだよ、と思われると思うけど、たぶんわたしの理由はちょっと違う
悲しさ を装わなきゃいけない気がして
少しだけ、本当に少しだけ息苦しいのだ
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最近「さよなら」を言う機会があったときに
自分の感情のこの感情に気付いた
本当に心から悲しいな、寂しいなと思っているはずなのに
何故かそれは口に出してしまうと、
自分でも本当に思ってないような風に聞こえてしまうから
寂しい 悲しい という感情を意識的に大きくしてるような
一生懸命糸の端を手繰り寄せようとしているような
そんな感覚になる。
たぶん、「さよなら」の言葉に自分の感情を乗せるのが苦手なのだ
特に女の子は
「寂しい!」「悲しい!」
をとりわけ大きく出す生き物だから
余計に差を感じるのかな
そもそも、わたしは本当の意味での別れの痛みを経験したことがあるのだろうか
例えば卒業式なんかで周りの子が泣いてても
「でも一生の別れじゃないし、また会えるし」
なんて思いながら泣かなかったか、そんなことを思いながらも雰囲気に押されてちょっと涙が出たかのどちらかだったし
おばあちゃんが亡くなったときも、すごく悲しかったしたくさん泣いていたけれど、あまり実感が沸いてなかったのも事実だ。お葬式という、泣いて当たり前のイベントがあるから泣く、という側面ももしかしたら少しはあったのかもしれない。
本当の今で「別れ」を実感するのが、
わたしにとってはすごく難しい
たぶんそれは、
別れで本当の痛みを覚えた経験がないからだと思う
だから、悲しいけど、寂しいけど、
もう会えないなんてなかなか思えない、とか
生きてる人ならば、またどこかで会えるかな、とか
そんな甘えがあるから
上手に別れに対して悲しめないのかもしれない
寂しいね、悲しいね、
なんて
お互いに言い合ったってやめどきがないじゃない
とか身も蓋もないことを思ってしまうからかもしれない
そんなことを言ったって
本当に会えなくなってからの「悲しい」じゃ遅いのにね
こんなこと書くと読んだ人に
「じゃあこの子は今悲しんでるけど、これって無理してるのかな」って
思われそうだけど、
悲しい寂しいを上手く出すのが苦手なだけで、きっとその感情自体は嘘ではないので温かく見守ってください。